out of control  

  


   21

 昨夜、偵察に行く途中で見つけたのは、薬師の里とも呼ばれていた小さな村だ。
 俺たち鳥翼族は空から行き来できるから気づきにくいが、まるで外からの客を拒むような閉ざされた作りの村だった。
 ……いやな感じだ。
 ティバーンは女と子どもだけが教会に逃げ込んで男たちが命を張って助けようとしたと思ってるだろう。俺だって疑いたいわけじゃない。
 でも、あの村で見つけた「あるもの」が俺に妙なひっかかりを持たせていた。
 薬師の家にあった薬瓶だ。
 ……この村の位置を考えれば不自然じゃない。充分あり得る話だが、まだティバーンに言うのは早いな。
 だが、もしそうだとしたらあの子どもたちは、本当に助けるためにあの保存庫に入れられたのか?
 年齢的にあの教会にいた女たちはあの子どもたちの母親には違いないだろうが、それにしてもおかしい。
 女たちが子どもを守ろうとした気持ちを疑うつもりはないが、大人が一人も付き添っていないのは不自然な気がする。
 あとからもう一度調べた保存庫の方には妙なものは入ってなかった。
 だからこの点に関しては俺の考えすぎだったら良いんだが……。

「おい、ネサラ」
「え?」
「こぼしたら火傷するぞ」

 焚き火の炎をぼんやり見ながら考えていると、いつの間にか手に持っていたカップが傾いていた。

「あぁ、すまない」

 中身はセネリオが持っていたとうもろこしの粉で作ったスープだった。この手のスープはなかなか冷めないから、手にかかったら火傷しただろうな。
 木製の重いカップを取り上げようとしてきたティバーンの手を避けると、俺は残りをゆっくりと飲み干した。
 ここは冬の間無人になる森の奥にある狩猟小屋だ。雪深い国柄か、デインの建築技術は高い。それはこんな小屋にも活かされていて、尖った屋根は小屋全体が雪に埋まるまでの積雪を許さず、仮に埋まってもそう簡単には壊れたりしない。
 今年はそれほど雪が多い年じゃないし、森の中だからな。明かり取りの窓まで届いていないが、そこを閉めれば隙間風も入ってこなかったから夜は換気に気をつけながら休んだ。

「疲れてるんじゃねえのか?」
「そうだな。寒かったし、……やっぱりあんな作業は気が滅入る」

 俺に気を遣っているが、本当に気が滅入ってるのはティバーンの方だろう。
 そう思いながら正直に零すと、ティバーンはなにも言わずに干し杏を俺の手のひらに押し付けてくしゃりと一度、俺の頭を撫でた。
 はン、あんたじゃあるまいし、食いもので機嫌が良くなるとでも思ってるのか?
 呆れてるはずがつい笑いそうになって、乱れた前髪をかき上げる。

「まあいい。じゃあ俺は雲の様子を見てくるぜ。二人とも仕度して外に出ておけよ」
「わかってる。気をつけて行けよ」
「おう」

 肩や首を鳴らしながら立ち上がったティバーンが雪を落とした窓から出て行って、ようやく俺は一息ついた。
 まったく、心配してくれるのは良いが、過保護なのは困る。こっちも余計な気を張らなきゃならないからな。
 とりあえず、俺も出る仕度をするか。窓から身を乗り出して雪でカップを洗っていると、背中から強い視線を感じた。
 今度はセネリオだ。
 魔道士だからじゃないが、こいつは鋭い。これでもう少し人の心の機微が読めれば、他人といらん衝突を起こすこともないだろうに。

「なにか?」

 努めていつもの表情で訊くと、セネリオも立ち上がりながらすっかり冷めたお茶を飲み干して「べつに。なんでもありません」と答えた。

「あなたは隠し事が上手いので、またなにかあったのではないかと考えていただけです」

 ………ぜんぜん、なんでもなくないんじゃないのか、それは。

「なにもない。これから偵察に行く先のことを考えていただけだ」
「黒幕のことですか?」
「そういうことになるね。……あいつらの動きには法則がある。ルカンのこともあったし、もしかしたらああやって動き回っているのはあいつだけじゃないかも知れない。もしも黒幕がいるとしたらどんなヤツなのかと思うだろ?」
「それは確かに。ただ一つわかっていることは、相手が優れた魔道の使い手であるということですね」

 俺の横に並んだセネリオが魔道の炎を灯した手で雪を溶かしてくれて、その水で三人分のカップをすすぐと、ようやく出発の仕度だ。
 火を消して、借りた寝具を元に戻す。本当なら干してから返すべきだが、この季節じゃしょうがない。

「忘れ物は…ないな。行こう」

 小柄なセネリオに手を貸して窓から出ると、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてきた。
 ずっと寒いからまだまだ春は遠いと思っていたんだが、そうでもないんだな。こういうことは動物の方が知ってる。

「便利ですね。雲の上から天候を見られるなんて。ベオクには天気を読むことを生業としている者がいますが、誰も鷹の民には敵わないでしょう」
「そりゃしょうがない。俺からしても雲の上まで出て調べられるのは反則みたいなもんだ」
「そんなものですか。あなたは確か雲の上までは飛べないんですよね?」
「あぁ、まあね。鴉じゃ無理だ。気温も低いが、空気が薄過ぎる。それに、雲が厚い時は俺の翼でも越えられなくてな。雲の中ってのは恐ろしいんだぜ。昔一度だけティバーンにせがんで連れて飛んでもらったが、俺は雲の中で失神した」
「……寒さはどうとでもできますが、空気の薄さはどうなんでしょうか?」
「俺に訊かれてもな」
「そうですね。機会があれば試してみたいものです」

 豪胆と言うかなんと言うか……。こいつならなんとかしちまいそうな気がするな。
 風がでたらめな方向からもみくちゃにしてくるし、あちこちで稲妻が走るし、地獄絵図って感じだったな。後でティバーンに聞いたら、あの雲は季節柄でいつもあんな激しいわけじゃないらしいが。
 あんなところをしょっちゅう行き来してたら、そりゃあ鷹の神経は太くて鈍くて頑丈になるだろうさ。
 いつもと同じ無表情ながら残念そうに呟くセネリオに笑って、俺は裸になった枝の隙間から覗く薄い雲がかすみのように広がった空を見上げた。
 しかし、魔道士か……。巷には魔道士だの神官だのが大勢いるが、大賢者だとか聖者とまで呼ばれる能力を持つ者は、ほんの一握りにしか過ぎない。
 ましてこれほどのことができる術者となったら……。
 セネリオやフェール伯はこの大陸でも指折りの実力を持つ大賢者だが、それでもそんな力はないはずだ。
 俺が知っている者の中でこんなことができそうな魔力を持ってるのはセフェランぐらいだが、あの男が裏切ることはもう考えられない。
 ただ、今回の黒幕の正体に勘付いてる節はあったな。それを口にしなかったのは確証がなかったからなんだろうが、気になる。

「戻りましたよ」

 鷹特有の高い鳴き声が響いた。ティバーンが帰りを知らせてくれたんだ。
 空に見えた黒い点がぐんぐん近づき、一気に大きな翼が広がる。力強い翼で風を捕まえて姿勢を安定させ、化身を解いたティバーンが目の前に下り立つまでには数秒もかからなかった。

「雲の様子は良いぜ。当分吹雪の心配はねえな。視界も良好だ」
「偵察にはもってこいってことか」
「おう。さっさと見て、さっさと戻ろうぜ」

 対策を立てるために。
 一っ飛びしてすっかり立ち直ったらしいティバーンの笑顔に苦笑しながら頷くと、セネリオがティバーンに掴まるのを待って俺も飛んだ。
 ほとんどの枝が裸になった森の向こうに広がっているのは、まばらに雪を張り付かせた広大な白い岩場だ。

「セネリオ、目には気をつけろよ」
「雪目ですね。大丈夫です。あなた方は?」
「さてね。まあ大丈夫じゃないか?」

 今日は久しぶりに太陽が顔を覗かせているし、真っ白な雪の照り返しを見続けると、一時目が見えなくなることがある。これはベオクだけじゃなく、俺たちラグズも同じだ。
 だが俺は鴉だし、ティバーンは鷹だ。化身すれば瞬膜もある。
 人型の時との違いは「目を閉じていてもある程度見える」ぐらいでしかないんだが、こんな時は重宝する。
 目指す渓谷もここから近いし、改めて気持ちを引き締めると、俺たちは太陽が出ていてもうっすらと灰色がかった空を飛んだ。

 厳しい谷風に煽られながらどれくらい飛んでいたのか。距離自体はそれほどでもないのに、この辺り特有のタチの良くない風のせいで思ったより時間がかかった。
 いくら魔力で風を馴らしたところで、負担は掛かる。翼の付け根がだるくなってきて、仕方なくティバーンに休憩を頼もうかと思ったころ、尖っていた山の稜線が人工的に削られた形のものに変わり始めた。ようやくイベルト長城の近くまで来たらしい。
 ラグズである俺の感覚にもはっきりと「負」の気が強く、濃くなってきたことがわかる。
 人の気配は……ないな。当然か。
 あの化け物が動き出すのは夜だ。
 とりあえず、今のうちに連中の人数や行動範囲を調べよう。

「ネサラ」

 そう考えた時だった。
 固い声でティバーンに呼ばれ、直後に俺もそれを感じる。

「……まだ日は高いですよね?」

 ティバーンの背中に座っていたセネリオも、緊張した面持ちで身を乗り出した。
 狩猟小屋を飛び立ってからここまではざっと数時間ってところか? 太陽の位置から考えると、昼時を少し過ぎたころのはずだ。

「どういうことだ?」

 ティバーンが化身を解いて滑り落ちかけたセネリオを片腕に抱き、険しい表情で呟いた。
 眼下に見える雪と泥が混ざり合った地面が、蠢き出したんだ。まるで餌を見つけた生き物のように。
 ぼろぼろだが、騎士装束らしいものを纏った者もいる。ほとんど真上にある太陽の光に照らされた地面のあちこちで、錆びていない武器の鋼が光を弾いていた。

「おい、あいつらが動けるのは夜だけじゃなかったのか!?」
「そのはずです。こんなことは聞いたこともない」
「術者が……」

 どこかにいるんじゃないか?
 そう言おうとした俺の喉が張り付くように動きを止めた。
 なんだ…? これは………?
 まるで蜘蛛の糸のように細くて頼りない魔力が絡みついてくる。
 ティバーンも、セネリオも気がついていない。
 俺だけが見えない蜘蛛の巣に絡み取られる獲物になったみたいだ。

「どうする? 探すか?」
「その方が良いでしょうね。僕は向こうを見てみます」
「待て。歩くのは危ねえ。おまえは俺と来い。ネサラ、大丈夫か?」

 緊張した様子のティバーンの問いかけに、俺も化身を解きながらいつものように頷いた。

「手分けした方が確実ですね。では、一時間以内にここに集合しましょう」

 セネリオの言葉にも頷く。
 俺はティバーンみたいに人一人抱えたままいつも通り飛び回ることはできない。もっともな選択だ。
 遠ざかる二人を見送って、俺はぎこちなく深い息をついた。
 化身の力は……大丈夫だな。身体も動く。
 この絡みつく魔力は一体なんだ? ティバーンがわからないのは仕方がない。あいつの魔力を感知する感覚は鈍いなんてものじゃないからな。
 だが、セネリオが気づかないのはどういうことだ?
 見下ろした足元で蠢く人数は変わらない。中には弓を持った者もいたが、俺たちに気づいていないのか、狙う様子もなかった。
 巫女が派遣したという神官たちがこの中に含まれてるかどうかもわからないな。話によると数人はいるはずだが……。

「……誰だ?」

 とにかく、気をしっかり持たなきゃならない。
 頭を振って別の方向を調べに行こうと羽ばたきかけたところで、またなにかが俺の感覚に触れた。
 これは……あいつ、ルカンが現れた時と同じだ。俺を呼ぶ、不思議な「声」のような……。
 また意識がぼんやりと霞がかってくる。
 だが、さすがにこんな中に降りることは出来ない。それこそどうなるかわかったものじゃないからな。
 誰かに呼ばれてる。それだけはわかったが、その方向がどちらなのか、そして相手が誰なのかはまったくわからなかった。
 翼がゆっくりと動く。勝手に方向を変えてるってことは……俺の感覚だけは相手を知ってるってことか?
 ふわりと俺の身体が浮かび上がった。
 かすかに聴こえていた「声」が、だんだんはっきりと形を取り始める。
 こっちは……イベルト長城の方向か?
 ぼんやりとしたその魔力の形が旋律だと気がついたのは、道すらない段差の激しい渓谷の狭間で累々と並ぶ蠢く屍が何かを祈るように、突然同じ方向を見たからだった。
 ぼんやりとしていた意識が一瞬で覚醒する。同時に総毛立った。
 こいつら……俺を見てるのか!?

「違う、後ろ…!?」

 振り向こうとした身体が強張る。
 細く、頼りないだけだった糸のような魔力が急に膨れ上がって俺を包み込んだ。
 歪な魔力のざらつきが神経の全てを掻き毟る。
 猛烈な嫌悪感に内臓が捩れるような感触がしたが、吐く余裕もなかった。
 その魔力が皮膚から直接俺を侵食するように震えたからだ。
 なにかが、俺を奪おうとしてる。俺の中に…入って………来る?
 冗談じゃない…!!

「来るなッ!!」

 蒼い光が迸った。化身の光じゃない。
 俺の否定の言葉に反応した、風の魔力だ。
 翼の動きがおかしい。下に……降りたがってるのか? 駄目だ、そんなことになったらまた俺は化身できなくなる。
 理屈じゃない。本能でそれを悟って乱れた息をつきながら、俺は全身にじわりと脂汗をかきながら突き上げる衝動と戦った。
 遠くで金色の光が見える……。
 光の術符か? ティバーンたちが襲われてる……?
 腰が奇妙な角度に捩れているが、ほかはほぼ無事なクリミアの騎士が表情のない顔を俺に向けて手を差し伸べてきた。
 ……取るな。あの手を取っちゃいけない。
 俺は、大丈夫だ。大丈夫……。
 無意識に指先が耳元に触れた。正確には耳元の赤い耳飾りにだ。
 リュシオンが、リアーネが、ラフィエルが、そして今はもう亡いセリノスの……俺のもう一つの家族、白鷺たちが俺のために想いを込めて贈ってくれたお守りを。
 俺のことが大事だと。
 俺の心を守りたいと……そう言ってくれた。
 王族だけじゃない。心優しい鷺たち。
 泣けば手を伸ばしてくれた。謡ってくれた。あの森の中にいると、いつでも、どこからでも温もりと労りに満ちた眼差しを向けてくれた……。
 弱い種族だったかも知れない。自分で自分を守ることも出来ない。
 種としてそれは致命的なんだろう。
 それでも、俺は彼らが好きだった。
 もちろん、今でもだ。
 もう、鷺たちを守りたくても残されたのは王族の四人だけだ。
 だから、こんなところで負けるわけには行かないだろ。
 あの二人がここに来られないなら、―――俺が刻む。
 偵察とは言え、これから戦う敵の顔ぐらい拝んだってバチは当たらないはずだからな。
 そう思って胸の中で一つ息をつくと、俺は絡みつく魔力の糸を全て断ち切る勢いで羽ばたき、いつの間にか俺の周囲を囲んでいた騎士らしい連中を疾風の刃で吹っ飛ばして振り返った。

「……!!」

 瞬間、俺は凍りついた。
 目も、口も、開けたまま閉じられない。
 その一瞬で、俺に絡みついていた歪な魔力の拘束が完全に消えた。
 吹き飛ばされたまま、しばらく転がっていた騎士が起き上がる。
 別の方向から俺に手を伸ばした錆びた鎧に身を包んだ重騎士が弾け飛んだ。
 なんだか幻を見てるみたいだ。

「……サラ!」

 もういない。
 誰も襲っては来ない。
 こいつらは、動けない――。

「ネサラ!?」
「……え?」

 なぜか笑いそうになったところでぐいときつく肩を掴まれた。
 いきなり至近距離で俺の顔を覗きこんでいたのはティバーンだ。
 なんだ? 向こうを見に行ったはずなのに、いつの間にこっちに来たんだ?

「なにぼけっとしてやがんだ! 大丈夫か!?」
「なにがだ?」
「なにがじゃねえだろうが! 無茶しやがって…!」
「無茶ってなにが…あうッ」

 焦ったティバーンに掴まれた腕から予想外の痛みが襲い掛かって、俺はとっさのことで堪えられずに悲鳴を上げた。

「見ろ、痛むだろうが! 化身もせずに重騎士を殴り倒すなんざ、なにを考えてんだ!?」
「な、殴った…?」
「鳥翼王! 杖を使いますから連れてきてください!」

 意味がわからん。
 セネリオの呼びかけにティバーンが返事して、ズキズキと痛む骨が折れたらしい手を押さえて蹲りそうになった身体を腰からさらわれる。
 言われてぼんやりと自分の身体を見回すと、どこもかしこも凄いな。左足は泥に突っ込んだみたいになっているし、黒衣も血なのか埃なのか泥なのかわからないもので汚れて、あちこちに引っ掛けたようなかぎ裂きやほつれがある。
 ニアルチに見つかったら大目玉だな。これは。

「……満身創痍ですね。今回は偵察が目的であって、敵の殲滅は必要ありませんよ?」
「面目ない」

 聖水を撒いたらしいな。渦巻く「負」の気配の中、そこだけ清浄な空気が漂う小高い場所に下ろされると、目を丸くしたセネリオに呆れた声で言われた。
 もっともだ。自分でもどうしてこうなったんだか今ひとつわからん。

「セネリオ、こいつの指はどうだ?」
「……折れていますね。それも一箇所じゃない。しばらく書類は書けませんよ」
「杖の治療で繋いでくれりゃいい。しばらく痛みが残るだけだろ。痛みだけなら俺に不自由はない」
「普通は不自由なんですけどね。わかりました」

 ティバーンがまるで自分が折ったような顔で俺の腕を恐々と支えて、どうやら俺と似たようなことをしてるんだろう。セネリオの方は無造作にだんだん紫色になって腫れてきた俺の右手の指を掴んで伸ばし、回復の杖をかざした。

「く…」
「我慢してください。まっすぐに戻して治さないと、後で使えなくなりますからね」
「わかってる。気にせずやってくれ」
「はい」


 それにしても、敵をぶん殴って骨折だと? リュシオンじゃあるまいし、なんて様だ。
 脚も痛いから、たぶん蹴りが間に合わなくて拳ってことになったんだろうが、情けない話だな。
 まあ、相手が重騎士じゃしょうがないか。あいつらは鉄板を繋いだようなクソ重い鉄の鎧を着込んでるんだ。
 あんなものを素手で殴ったら、俺でなくても指の一本や二本はイカれるさ。

「脚は折れてねえだろうな?」
「……あんたなら平気かもな」
「あ?」
「こっちのことだ。折れてない。指だけだ」

 そうだった。ティバーンならたぶん、折れはしないな。
 実際、女神の塔の中で背後からいきなり湧いて出た重騎士を拳で殴り倒したところは見た。化身する間がなかったからじゃなくて、たまたま近くにキルロイとシノンがいたからなんだが。
 こいつは人型でも大きな図体をしているが、化身したらもっと大きくなる。あのまま翼を広げたら味方まで吹っ飛ばしちまうからな。

「どうですか?」
「ましになってきた。そのうち腫れも収まるだろ」
「内出血した分は吸収されるのを待つしかありませんからね。指は動きますか?」

 曲がったまま動かなかった指が元に戻ってる。
 骨が繋がったのはわかってるし、この状態で動かしても痛いだけでくっついた骨が外れる心配はない。
 それを知ってるから無造作に握ったり開いたりすると、「結構です」とセネリオが頷いて使ったライブの杖を背中に背負い直した。

「お、おい。痛くねえのか?」
「指か?」

 それにしても、変なヤツだな。
 怪我をしたのは俺の方なのに、ティバーンは相変わらず自分が痛いような顔で俺の手をそっと取って訊いてくる。
 まったく、どこまで過保護なんだか。

「痛いに決まってるだろう。まさかあんた、怪我をした部下全員にこんなことしてやってるのか?」
「ンなわけねえだろ。ただ、いくらなんでもおまえみてえに平気な顔でいる奴はいねえぞ。骨が折れたら普通はちょっとぐらい痛そうな顔をするもんだろうが」
「必要ないからな。セネリオ、そっちはどうだった?」

 なにを言うかと思えば、馬鹿馬鹿しい。
 元老院の連中に呼び出された時は必要に応じて痛がってもみせたし、怪我をしていても弱みを見せられない場面ではなんともない顔もしてきた。
 大体、指の骨なんて小さい箇所でいちいち痛がってたらラグズの戦士として情けないにもほどがある。

「問題の戦闘があった辺りは……酷い有様ですね。直接見た方がどんな説明よりも早いでしょう」

 見上げたティバーンも厳しい表情で頷く。……それだけで想像はつくな。
 セネリオがティバーンに抱えられるのを待って飛ぶと、俺は段々と蠢く連中の増える途を辿ってその崖まで急いだ。

「……これは……」
「見ての通りです」

 高いところでは二十メートルを越える崖の上から何本も下に伸びた黒い帯状の汚れが油だな。大きなものではティバーンの身長を越えるほどの岩がいくつも転がっていて、その岩と、崩れた崖に潰された人馬が幾重にも折り重なって蠢いていた。
 まるで生きてるように、苦しそうに……もがきながら。
 骨になれた者はむしろ幸せなのかも知れない。
 そう思うほど壮絶な光景だった。

「ネサラ」

 これは殺戮だ。でも、戦争だ……。
 思わず片手で目を覆って首を振った俺の肩をティバーンが抱いた。
 引き出せた者は弔ったと聞いた。でも、岩や土の下敷きになった者は引き出せなかったと……。
 人の力ではとても動かせないような岩や土の隙間から突き出して、もぞもぞと動くかつて人の一部だった部分がおぞましい。

「あの時には正式な弔いができませんでした。この先の平原に埋めた遺体は、ほぼ全てが動き出しているようです」
「聖水と聖職者の祈りがあるのとないのとでここまで違いが出るのが凄いな」
「特にここは戦場ですからね。程度の差はあれど、濃い『負』の気にまみれることになります。それを浄化できたかできなかったかの差が大きいのでしょうね」
「なるほど」

 確かに一理ある。

「それよりも、そちらはどうでしたか?」
「え?」
「ずいぶん派手に暴れていたようですが、なにか見つかりましたか? 今回の事件の首謀者に繋がる手がかりだけでも欲しいのですが」
「あ、あぁ、そうだったな」
「おいおい、ボケてるんじゃねえぞ?」

 もちろん、自分の役割を忘れたりしないさ。
 セネリオに言われて見回った部分を思い出してみたが、手がかりになるようなものはなにもなかった。
 当然だな。首謀者がどんな者かはわからないが、生きた人がこんなところをうろうろするはずがない。

「残念ながら。向こうもちょろちょろと動き回る連中しかいなかった。いちいち連中に光魔法や炎魔法を使うより、大元を叩いて終らせたいのは俺も正直なところだがね」

 肩を竦めてそう言うと、セネリオは細い眉をひそめて「そうですか…」と呟いた。

「さっき、今まで僕たちのことが見えていなかったようにしていた彼らが突然襲い掛かってきたんです。それでしばらく応戦していたのですが、突然全員がそちらを見ましたので、てっきりあなたの方でなにかあったんだと思ったのですが」
「俺の方を?」
「ああ。俺にもそう見えたぜ。気がつかなかったか?」

 一瞬、俺の中に不思議なものが過ぎった。
 だが、それだけだ。

「……いや、わからなかった。なにせ囲まれていたんでね。怪しいところがないか調べているところにあんなことになったから」

 意識するよりも早く口からそうするりと答えが出て、首をかしげた俺に二人は納得した様子で頷いた。

「鴉王が囲まれていたのは……あの辺りですね」
「なにもねえな。行き止まりだ」

 それでも一応、調べる気になったらしい。
 二人についてさっきまで俺がいた崖下の奥に来たが、そこにあったのは白っぽい岩と乾いた土、それから倒れたままの連中だけだ。

「さすがは光魔法の術符だな。こいつらが動く心配はもうなさそうだ」
「……そうですね」

 光魔法の術符……?
 使った記憶がない。
 セネリオもしみじみ感心するように見下ろしていたが、ドクンと俺の鼓動が早くなった。
 なんだ? 覚えてないなんて、囲まれてパニックにでもなったのか? この俺が?

「既にここを離れて動き出した者たちは数に入れないまでも、この一帯で戦死した人数はクリミア軍だけで五千人近い。出来れば我々で術者の手がかりだけでも見つけたかったのですが、どうしようもありませんね」
「イベルト長城はどうなってる?」
「僕がベグニオンに行った時点で、皇帝に危険性は示唆しておきました。しっかりと守りを固めているはずです」
「そうか。なら、まずはデイン側のことを考えて良いんだな」
「ええ。そうなります」

 こいつらの中心に、きっと術者がいるはずだ。
 大掛かりな術を使う場合、普通なら魔方陣が必ずある。その場所を突き止める必要があるわけだ。

「力場か」
「はい。……もう少し『負』の気が弱まるか、はっきりとした形で魔力を辿れればそう難しくはないのですが、今は無理ですね。戻りましょう」
「いいのか? このままじゃ偵察にもなってねえぜ」

 顔を上げたセネリオにティバーンが眉をひそめるが、これは仕方がない。

「元々相手の規模を探るのが今回の目的でした。屍の兵に守られている内は気配の乱れも見せないでしょう。術が追いつかない状況になれば、自然と綻びは生まれます」
「あんたたちの特技だろ。次は大暴れして連中を片っ端から眠らせてやれ。そうすりゃ嫌でも姿を見せるさ。あとは転移魔法を使って逃げられないようにしたいところだが、そこまで追い込めりゃ嫌でも尻尾は掴める」
「はい。逃がしません」

 なにせ、こっちには腕の良い大賢者だの聖者だの巫女がいるんだからな。
 不敵に頷いたセネリオを見て俺も笑うと、ようやくティバーンも納得したんだろう。

「しょうがねえなあ。それじゃ、その日を待つとするか。こいつらも早いとこ楽にしてやりてえからな」

 口先ではそんなことを言いながら、獲物を探す猛禽の目になってティバーンも笑う。
 ……まったく、物騒な男だな。今触ったら別の意味で指が痛みそうだ。
 とにかく、方針は決まった。後は行動あるのみだ。
 哀れな亡者たちが蠢く渓谷を後に、俺たちは化身して一路、ネヴァサを目指した。
 天気が荒れないなら今度は一直線で戻りたい。
 休憩も最低限にするつもりで飛んだんだ。
 だが、その途中でまずセネリオがある気配に気づき、俺たちの翼を止めた。

「知っている者の魔力を感じます」
「あ?」
「……僕たちと同じく、ネヴァサを目指してるようですよ」
「なんだと?」

 ここはネヴァサまではまだ遠い、ネブラ川を越えたばかりの地点だ。
 魔力……ってことは、魔道士か?
 ティバーンと顔を見合わせたが、ここにはヤナフもウルキもいない。ティバーンもベオクに比べれば相当目はいいが、まさかこんな空の上から見下ろす大地のどこかにいる人を一人見つけるなんてことはできっこない。
 だからどうしたものかと思ったんだが、目を閉じたセネリオがうっすらと風の魔力を纏い、華奢な指である方向を指した。

「あちらです。行ってみますか?」

 いや、行ってみますかもなにも、わざわざ俺たちの翼を止めたのは行かせるためだろう。
 まあ、俺も興味はあるからな。
 頷いて先に飛ぶと、ティバーンも後に続いた。
 枯れた草原と雪がまだらになった地表に目を凝らしながら飛び続けた先で、鮮やかな金色を帯びた炎が一瞬見える。
 魔道の炎だ。まだ日はあるのに、まさかあの怪物がこんなところでも動いてるのか!?
 肝を冷やす思いで羽ばたきを早めると、しばらくして俺にも覚えのある気配が伝わった。
 賑やかで明るい、真冬の暖炉のように暖かなこの気配は……。

「トパック! この莫迦、炭にしたら食えるものも食えないだろ!!」
「ンなこと言ったって、真正面から向かって来られたんだぞ!? おまえのナイフじゃあいつの牙に当たったら折れちまうだろがッ!!」
「俺はかわしてあいつの首を切るつもりだったんだ!」
「そんな上手く行わけないだろ!」」
「やってみなきゃわからない!」

 慌てて飛んできた俺の眼下でぎゃあぎゃあ言い合いをしていたのは、目も髪も装束も赤い少年魔道士のトパックと、影のように巫女に付き添っていた盗賊の少年、サザだった。
 そう言えばこいつらを呼ぶとアイクが言っていたな……。もうここまで来たのか。

「ちぇッ、腹減ってるのに上手く行かね…って、出たぁー!!」
「!」

 ふくれっ面で頭の後ろで腕を組んで空を見上げたトパックが飛び上がり、サザがすかさず前に回りこんで銀のナイフを構える。
 おいおい、悠長だな。俺にその気があったら、とっくに二人とも死体じゃないか。

「おまえたちだけか? 怪我は?」
「あ…あれッ? 鴉王!? あっちは鷹王かあ!?」
「どうして…?」

 化身を解いて降りると、大きな赤目を真ん丸くしたトパックがサザの背中から飛び出してきた。サザも信じられないような顔で俺を見上げる。

「よお、元気そうじゃねえか」
「偵察に来てたんだ。おまえたちはどうしてここに?」

 俺の後ろにティバーンも降り立つ。簡潔に答えると、トパックがもじもじと背中から一本の杖を出し、サザは呆れた様子で言ったのだった。

「ちょっと困ったことがあったからネヴァサに戻る途中だったんだ。丁度、特急運送の鷹がアイク団長からの手紙を持ってきてくれたし」
「えーとぉ……おれ、最近杖の腕が上がったからさあ、リワープの杖で一っ飛びするつもりだったんだけど」

 バツが悪そうに笑うトパックの表情で、訊かなくても理由がわかる。ただセネリオがしっかりと突っ込みを入れた。

「魔力不足でこの辺りで放り出されたってところですね」
「よくわかったな」
「あと何回か使えば行けるって! おれもこいつも足は速いし!」
「……さすがにおまえほどじゃないぞ」

 確かにトパックの足は速かった。もしかしたら獣牙族の血でも入ってるんじゃないかってほどな。下手したら馬にも追いつきそうな勢いだったものなあ。

「それにしても、危険なことをしますね。このような杖は失敗すれば永遠に歪んだ魔力の領域をさ迷うことになるかも知れない。これからは面倒でも自分の魔力で見通せる範囲を飛ぶことですね」
「お…おう、わかってるよッ」
「本当にわかってるんだか……。俺はおまえの失敗に巻き込まれて死にたくないからな。もういっしょには飛ばない」
「ちぇッ、無事だったのにいつまでもしつこいなッ」

 いやいや、それはサザの言うことがもっともだろう。
 俺は呆れたがティバーンは笑って二人の頭を撫でて、セネリオはセネリオでトパックの炎魔法で黒焦げにされた野豚をライブの杖の先でつついていた。

「崩れますね。残念ながら、中までしっかり燃えています」
「残念だな。中が生なら食えたのによ」
「ええ。本当に。これだから炎魔法で狩りをするのは勧められないのです」
「うっせーな! そういうおまえこそ、風魔法でせっかくの鹿をソーセージにもできねえほど細切れにしたことがあるくせにッ!」
「あの鹿はアイクに角を向けましたから、当然の報いです」

 サザの呆れた空気とティバーンの爆笑を背中に、俺は久しぶりに頭痛がする思いで頭を抱えた。
 あぁ……なんだかな。不味いぞ、この空気は……。
 人が真面目に考えようって時に、なんだってこう騒ぎが起こるのかね?
 とりあえず、いつまでもこんな吹きさらしの枯れた草原でぎゃあぎゃあ言い合いをしていても良いことはない。
 とにかく場所を移そう。
 そう思って声を掛けようとしたところで、セネリオがトパックの握っていたリワープの杖を取り上げた。

「なんだよ?」
「一足先に、僕がネヴァサに戻ります。やることは決まったのですから出陣の仕度を急ぐのが最優先でしょう」
「いつもライブしか使ってねえのに、そんな杖も使えんのか?」

 そう言えばそうだな。
 ティバーンに言われて思い出してみれば、俺の知る限りこいつが使うと言えばいつもライブの杖か、必要な場面でレストの杖ぐらいだった気がする。
 いや、女神の塔の中では違ったか? あの時は大混戦で誰がいつどの杖を使ったのかもさっぱりわからなかったしな……。
 不思議に思って見たら、しげしげとリワープの杖を眺め回していたセネリオはティバーンの腰からあの大きな水筒を外し、片腕に抱えて言ったのだった。

「使えますよ。リザーブまでは無理ですけどね。単にライブ以上の杖を日常携行できるだけの資金的な余裕がないだけです。手に入れる機会があっても、高度な杖は専門家のキルロイが持ちますから」

 な、なるほど。貧乏傭兵団ならではってところか。
 腕はあるのにもったいない。

「どちらにせよ、この顔ぶれでは誰かが一人で戻らなくてはなりませんし、それなら僕がこの杖を使うのが一番手っ取り早いですからね。そんなわけで、一足先に失礼します」
「あ、おい! おれのリワープ〜!!」
「あとで返します」
「ウソじゃないだろーな!?」

 焦ったトパックの念押しに、にこりともせずに「壊れなければですが」と付け足したセネリオが詠唱を始め、すぐに姿が揺らいだ。
 セネリオを中心に魔力の場が生まれて、俺たちも巻き込まれないように距離を取る。
 見事なものだな。詠唱を終えると同時に魔方陣が浮かび上がり、セネリオの姿が掻き消えた。
 あいつの魔力なら中継も少なく行けそうだ。

「あーッ、くそ! せっかく宰相様にもらったのにー!」
「宰相? セフェランにか?」
「あ、うん。…って、そうだ! サザ…!!」

 いまいち話の流れがわからないが、どういうことだ?
 顔色を変えたトパックがサザを振り返って、サザも緊張した面持ちで俺たちを見上げて口々に言い出した。
 それも思いがけないことを。

「鷹王、それに鴉王。実はあの男……セフェランがいなくなった」
「そうなんだよ! 皇帝に訊きたくても会えねえし! 解放奴隷のこととか、まだあの人の力添えがないと進まないこともたくさんあんのに…!」
「もしかしたら悪い知らせになるかも知れない。そう思って俺も急いでネヴァサに戻るつもりだったんだ。そしたらオマケがくっついてきた」
「なにー!? アイクからの手紙を読む限り、オマケはおまえだろッ!」
「俺はまだ傭兵団の団員だ。だから俺に手紙が来たんだろ」
「手紙にはおれを連れて来いって書いてあったじゃんか!!」
「わかった! わかったから落ち着け」

 両方からぎゃあぎゃあ言われたんじゃたまらない。
 両手を上げて二人を静かにさせると、俺はにやにやと二人の様子を眺めるティバーンを睨んだ。

「あんたも笑ってないで手伝え」
「はいはい。で、どっちが俺に乗りたいんだ?」
「おれ! おれが鷹王に乗るッ!」
「よし、じゃあこっちに来い」
「やったぁ! ありがとな、鷹王♪」
「おいおい、よじ登らなくても乗せてやるって、コラ」

 すごい喜びようだな。まあ、確かにあの年頃の坊主は大抵ティバーンを好きなものだが。

「おまえは良いのか? 言えば交代でティバーンに乗せてもらえると思うぞ」

 なにより、俺よりもティバーンの方が人を乗せて飛ぶのは得意だしな。
 そんなつもりで訊くと、ちょっと口を尖らせたサザはちらりと肩車をされてはしゃぐトパックを見て言ったのだった。

「べつにいい。……っていうか、鷹王には乗りたくない」
「そうなのか? 乱暴そうに見えるというか、まあ確かに乱暴ではあるが、心配しなくても乗り心地は俺よりもあいつの方が数段良いと思うが」
「興味ない」

 そういうわりにはこだわってるように見えるがね。まあ、本人が必要ないって言い張るならそういうことにしておくか。

「ネサラ!」

 化身せずにトパックを片腕に抱いて浮かぶティバーンに呼ばれて、俺もサザに手を差し伸べた。

「その…大丈夫か?」
「落としはしないから来い」
「………」

 こっちは慎重だな。それとも俺に身を預けるのが不安なだけか。
 ……なりは大きくても子どもだな。怖がらせないよう飛べたら良いんだが、そこは突風に見舞われないことを祈るしかない。

「化身するから、落ちないように掴まってろ。女神の塔で一度ティバーンに乗ったことがあるだろう?」
「あれは、鉤爪で掴まれたんだ」

 そう言えばそうだったか? 俺も襟首を咥えて敵の前から避けさせたことしかなかったな。
 そのままなにも言わずに化身すると、サザはごくりと生唾を飲んでから覚悟を決めた様子で俺の背中に乗った。

「飛ぶぞ」

 ティバーンのいる高さまで上がると、外套の前を合わせて必死に身を伏せる。
 セネリオは風魔法が得意な分、こんな時は平然としているが、普通はやっぱりこうなるんだよな……。

「トパック、俺も化身するぞ」
「わかった! いいぜ!!」

 こっちは平気なものだ。まるで猫の仔のように器用にティバーンにかじりつき、そのまま化身した背中に収まる。

「ひゃあ、サイッコー! サザぁ、見ろよ! ネブラ山があんなとこに見える! あはッ、向こうにはトゥークの群れだ!」
「お、おまえ…元気だな……」
「おれはいつでも元気だぜ!」

 トゥークは寒冷地にしかいない毛の長い水牛だ。肉はそれほど美味くないそうだが、油の強い毛皮はこの辺りでは珍重されるらしい。
 こんなことでもなければちょっと取りに行きたかったな。まあ罠を仕掛ける時間もないし、そもそも他所の国で勝手に大掛かりな狩りなんてできないが。
 俺はかじりつくサザに、ティバーンははしゃぐトパックにそれぞれ別方向の苦労をしながら、とにかくネヴァサを目指して飛んだ。
 自分の中に揺らめく、なんとも言えない違和感に内心で首をかしげながら。




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